心配と額装

大小さまざま、心配やら不満やらがあって、生じては消えていくが、なかなかゼロにはならず、笑ってしまうくらいに絶妙な感じで新たなのが生まれたり、まれにゼロになる瞬間があったらあったで、心配なことがなんにもなくていいのか・・・とないこと自体に心配になったりする。

これらに対し、単に心配することをやめてみたらどうだろう。一度心配したらむしろ、今後心配しないリストに入れるのだ。生産性が10倍くらいになることは、ほぼ間違いない。

美術ブログ(のつもり)なのにまた違うことを書いている。昨日は作品の額装に行った。作品自体は紙なのでさほど重くないが、自宅の額の入れ替えもあったので総量7キロくらい。体重の1/6なんてどうということもないさと懸命に自己暗示をかけるが、暗示の効果はいつもながら薄く、肩が脱臼しそうになる。その上、途中で雨まで降ってきた。が、無事額装手配終了。

額も絵のうちなのでケチるとろくなことがなく、いつも十分満足できるものを使っている。作品の入れ替えもできるし。でも帰り際にふと、いつまでも額装するタイプのものを創っている訳でもないかもね、と思った。

重いものを持つと、必ず思い出す話がある。キュリー夫人がすごく貧しくて冬でも部屋を暖める燃料が買えなかった頃、「重い感じと温かい感じは似ている」と気づき、椅子を抱えて寒さをしのごうとした、ということ。今日も寒かったからちょうどよかったかも。それにしてもなぜキュリー夫人は常に「夫人」と呼ばれるのか。夫もえらい人のようだが彼より有名なのに。他にそんな人、あまりいない気がする。

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