自分はこれまで卵の白身というものに特段の好感を抱いていなかった。
目玉焼きにしても、黄身が図とすれば間違いなく地であろうし、味も、がっつりコクのある黄身のいかにも脇役という感じだ。だし巻き卵にしたって黄身と混ざっても結局のところ全体として黄色くなってしまい、存在を主張できない。好感を持っていないというよりむしろ、眼中にないというか、意識の範疇にさほど入っていなかった、というところであった。
最近卵の黄身だけを使う料理が続いて白身を何個か分、フライパンで塩・胡椒だけして焼いてみてびっくりしてしまった。
黄身の味がむくつけき武士(もののふ)のようであるとすれば、こちらはお姫さまである。上品で繊細で、奥行きがあるものの押しつけがましくない。殊に食感が良くて、カリッとした外側に弾力のある中身の組み合わせが絶妙だ。
白身の味自体は変わらないのだから、目玉焼きから白身のみ分離されたことによりこちらの感覚の集中力があがったのであろう。
宴会が禁止になって桜が綺麗に見えたのと同じような原理だ。
目玉焼きを食すというのは知らぬ間に、マルチタスクになっていたのだなあ・・・。でも今や白身のおいしさを知ったからには、黄身と白身のハーモニーを、改めて鑑賞する力が少しついているかもしれない。
今度目玉焼きを食べるときに、確かめてみよう。