肉を干す女たち

私の身の回りの女性を見るに、(自分も含めて)何か異様な感じがする。

社会的には一応それなりの年月のキャリアを積み、結婚してるひと、してないひと、企業のマネジメント、大学教育、自営業など職業も色々。

さて、彼女らは大学に4つ通って心理学を修め、多忙極める金融業界にいながら徹夜で編み物し、フラメンコ留学もし、休日はカラオケボックスにこもってサックスを吹く。カウンセリングやNLP(神経言語プログラミング)を学び、ピアノをひき、ビーズのネックレスを作ったりほどいたりまた作ったりし、大学でプロダクトデザインを教えながら自宅で硝子工芸のお教室も開き、狂ったように刺繍をしたり、粘土をこねくったかと思うと欧米の身体技法を何年もプライベートレッスンで習ったり、それを応用するために武家の礼儀作法で許状を取ったり、初期仏教の研究をしたりする。

これは自分も含め知人女性、たった数人分のデータ。本業はそれぞれあるが、それ以外に色々なこと、やりすぎ。しかも真剣に。

もう結婚二回戦目を迎えていても不思議でない年齢でも、永遠の学生、永遠の青春的アディクションの世界。こういう女子が男子連中と会食などすると話が合わなくて悲惨だ。大抵の男子は仕事中心か、たまにヲタクっぽく趣味の世界に生きるひとがいても、それは女子のこのむやみな向上心、楽しむという次元をはるかに超えて、やめるにやめられない「修行」のニュアンスとは微妙に違う。男性のシュミ話って、おれこんなの知ってる、こんな獲物獲ったんだぜという、手柄話っぽい雰囲気が漂うが、女性のそれは、いまここまで進んで、こんなことがわかりました、これから先、あの高みまで目指します、みたいな。

と、いう話を友達としていたら、これって男たちのとってきたマンモスで干し肉作ってるんでないかと言うのである。原始時代、あかんぼのいる女は洞窟で忙しく子供を育て、生まない女はあるいは生んでしまった女は肉を干したり採ってきた木の実で何かしたり。女は常に何かに注意を継続的かつ複数対象に分散的に向けてそのエネルギーを色んなものに注いでおり、マンモス捕りにでかけて、捕って、帰ってくる目的志向つよくシンプルライフの男子と存在の形態が違う。今色んなことは便利になったけど、女のこういう心性はDNAに深く入り込んでいるので、なにか、やらねば、やらねば、やらねば、自分のこころに一瞬でも空隙を生みださぬように、そういう体験のすべてでもって自分の価値を上げて、マンモスの肉をより多く与えてもらうに少しでも価値の高い女になるのだ、と日々これ精進。今は男性に肉を持ってきてもらう必要はない人も多いのに、女性の「自己投資」は延々と続く。

それからもう一つの背景として、女性は基本、生命体を物理的に直接生みだす性なので、その土壌としての「自分」が大切、なんですね。男性が、自分のやってること(マンモス狩り、現代では仕事の成功など)が大事なように。だからこの大切な自分に更に自己投資して、自分自身がもっともっと自分を愛せるようになりたい、という欲もまた、あるのかもしれない。

男と女が違うから世の中うまくいくことも多いから、これはこれでいいのだが、最近草食男性が話題になっているけれども、まだこの「女子の修行熱」方面は草食の浸食が少ない。カルチャースクールなどに行くと、圧倒的に女性が多い(数年前のデータだが例えば朝日カルチャーセンターの男女比は3:7)のもこの一つの現われだろう。

干し肉理論提唱者である知人が1月にブログを始め、私の論旨とは一部設定とニュアンスが違うところもあるけれど、既に本が一冊できそうなくらいこの論を綿密に展開している。

そう、彼女は、特に肉の干し方が激しいタイプなのである。

凪の風鈴

 

同じカテゴリーの記事

  1. マドンナは魚類

  2. 女子の生命力

  3. 勉強脳

  4. 昨今の女子の愚痴

  5. おんなの読み方

  6. 女にモテるコツ

Blog「原初のキス」