論理的に腑に落ちないこと

それにしてもなぜこうなっているんだろう・・・と論理的な座りの悪さを感じることの最たるものとして、「新宿駅(の少なくとも自分がよく乗る山手線)にホームドアがない」ことがある。
ここにないんなら他の駅もいらないのではないかと思うし、他がいるんならここも絶対にいるはずだ。ちなみに私は後者だと思っており、この事案には何か非常なる大人の事情的なものが関与しているのでは、・・・と、疑っているのである。

自分の尊敬する経営コンサルタントに横山信弘さんという方がいて、この方が「絶対論感」ということを提唱されている。この例を絶対論感という関連で申し述べるのはそれこそちょっとズレているのかもしれないが、どうも論理的に納得感がなく、つまりは「作ればいいのにホームドア」と、世界堂(とばかりは限らないが)に行くのに新宿駅を使うたびに頭がムダに動いて忙しくなってしまうのであった。

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