ボケたらもっとボケボケに

絵を描いていて例えば部分的に「ここがボケてるな・・」と思ったらすぐにはっきりさせたくなるのだけど、むしろボケをボッケボケに強調する方が経験的にはいいような気がするのである。
はっきりさせると他のはっきりのところとの差が減少して、全体としてのっぺりになっちゃう・・。

人間の欠点というものもそういうところがあるかもしれない。欠点とか苦手とか、一見劣っていると見受けられるところは結局のところむしろ拡大して利用した方が、完全に避けて通ったり正面突破(克服)しようとしたりするより成功確率が高いのでは、と感じられる。

本件については似たようなことを以前の記事でも書いた。
野良猫としての私

なぜ同じようなことをよく考えているかというと、制作上自分ができないとか、やりたくないとかそういうことどもは結構たくさんある訳であって、でもふとそういう能力があるといいのではなどと考えた際に、確信犯的に逃げ切るか、あるいは工夫してそれっぽくみせるか、訓練するか、とりあえずやってみるか(稀だがそれで意外にうまくいくこともある)を迷う、という場面が頻繁にあるから。で、経験的には、「ボケたらもっとボケボケに」作戦すなわち、「不足している能力」を「過剰な無能」みたいにするのが、比較的有意義だったように思うのである。

とはいえ、訓練あるいはやみくもに突破してみようかなー、という色気がしょっちゅう出てしまう。もしかしたらそれらの試みで膨大な時間を消費しているかもしれない。

これについてはスティーブ・ジョブスの黒いタートルネックのように決めた答えを常に選ぶ、という習慣を確立できないのである。

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