金と芸術

アートに関わる人がお金に「直接」興味があるかはともかく、「アートと金の関係」というのはしょっちゅう話題になっており、講演会やセミナーなども何らかの形でこれに関連するものが多い。

10月23日、東京藝術大学において講演「なぜアーティストは貧乏なのか?」(アムステルダム大学名誉教授 ハンス・アビング博士 芸術経済学)に参加。

アーティストの多くが少なくとも西欧諸国においては(日本でも同様の状況と思われる)経済的に貧しいが、これはアーティストが需要に対し供給過剰であることを示す。
このような状況においては、アーティストに対する助成はぎりぎりで喰っていける人々を更に増やすことにつながり、供給過剰に拍車をかける。むしろ、パブリックアートの購入など、需要を喚起する支援の方が効果的であるという主張は、言われてみれば理にかなっている。
また、そもそもアートが誰もあまり益を得ないにも関わらずいつまでも従事者が減らない、経済的に特殊な業界である重要な理由の一つが、19世紀後半以降の市民社会の台頭もあいまって、表現者としてのアーティストが一種象徴的に「よりほんものの個人」として尊敬されているから、という指摘についても印象深い。
(本講演は博士の著書「金と芸術 なぜアーティストは貧乏なのか」(山本和弘氏訳)に基づく。正確な内容は同書にてご参照ください。)

ところでアートと金と言えば、以前美術手帳に、作家に喰えてるか喰えてないか、喰うべきか否かを質問している記事がでていたのを思い出す。作家は作品の質を追求するのが筋だから、質を追及できていれば何で喰っててもいい、という意見が多かった印象があるが、質を追及するならバイトしてるより専業になって時間が使えた方がいいので、論理的に少々矛盾があると思った。

もちろんどうしたって何をしたってとりあえず生きて創るしかない。それで喰えるようにと頑張ってマーケティングをがんがんやって、喰えるようにはなったが質が、という本末転倒の形態は、副業が忙しすぎて制作が十分できないという本末転倒の形態同様皆避けたいと思うだろう。

制作する人々はあくまで質を維持・向上していかなければ意味がなく、まずはそれを第一義としてそのための時間を増やす努力をしていくしかない。その望ましい形態はそれで喰うということかもしれないが、個人の特性や環境によっても、具体的なやりざまの解は異なると思う。

いずれにせよ自分にとってはアートと金という問題は、即ちアートと時間という問題に言い換えることができる。

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