描かれつつある絵というのは生命体のようなふるまいをする。実際、過程を映像によって記録すれば、文字通り動くのだ。何かを変えたり壊したり加えたりしている制作者が映っていなければさらに、自律的な生き物のようにしか見えないだろう。 描き終えられた絵というのは従って剥製に近い、あるいは一種の「写真」というべきか。運動の場としての機能を失い、時が固定されてしまった単なる表面と化す。たとえその下層にある時間はうっすらと透けて見えるとしても。 Tweet Share +1 Hatena Pocket RSS feedly Pin it - 絵画/版画 憂鬱前の記事 悪魔の変容次の記事