先般迄木場のEARTH+GALLERYで開催されていた、「没後10周年 和田賢一遺作展Ⅳ」。
寡聞にしてお名前を存じ上げなかったのだが、ギャラリーで実作を前にして以前氏の作品を拝見していたことに気づいた。アートフェアで大作を1点見て、自分が流体のふるまいを定着している作品に興味があることもあり、大変印象に残っていたからである。
作品を目にしていく内に自分のツボにはまってきたのは特にその絵肌であって、これが非常に「焼いたものの感じがする!」のだった。釉薬を透かして地の色を、あるいは地と一体化した陶器の表面をみる感じ。
つまりこれらの作品は自分にとって、陶器と絵画のキメラなのである。
後ほど制作方法を少し伺ってははーと思ったのは、一部スプレーを用いていらして、流体と粉体の合体というのは自分も経験があるのだけれど焼き物っぽい相貌を帯びる場合がある。もちろんそこからだけこの陶器感が来る訳ではないだろうが、いずれにせよ見かけはプロセスからやってくる。
ところで面白い作品というものは少なからず、何かと何かの組み合わせを思わせる。
いやむしろ、人が面白さを感じるものはそういうものというべきか。
バカボンのパパが「国会で決めたのか」と言うのが面白いのは、めちゃめちゃなおぢさんがこの発言において超絶まぢめな公務員(というイメージ)と組み合わされている故だし、モナリザが面白いのも、絵画なのにクイズっぽい、ということなのだ。
逆に言えば、絵の見方として、それが絵以外の何に似ているか、を探したり感じとったりするのは至極楽しい。
これは私なりの鑑賞技法である。