全体か片隅か ラフォーレ「カール・ハイド展」

不思議なことだが、美術のことをすこーし勉強し始める前は、美術というのは世界の鏡であって、世界で見出せることは美術の中にも必ず見出せると思っていたのに、だんだんと、美術というのは、世界の一角の真実(たとえば人間の視覚の特性とか)を、ピンポイントで派手に(別のいい言い方をすれば純化して)提示することに、そのありようがあるのかも、と思うようになった。

もちろん、別にそう思わなくっても、いいんだけどさ。そうでない証拠も、たくさんあるのだから。美術は、その根本思想?的には、大きな世界のありようを相手にしてもいいはずだ、絶対に。

という訳で、原宿のラフォーレでやっているカール・ハイド展を見にいったら、とっても感動した。

この人はtomatoというクラブ系音楽のミュージシャンなのだが、展示冒頭の、感覚というものに関するステートメントも格好いいし、抽象表現主義?かもしれない絵をバーンと確信犯的な感じで、音楽との越境感満載でぶちまけているのがすごくいい。ストロークなんか見ても、絵を「からだの大きさで」描いているのが、とてもよくて、一緒に行った知人と、「いいね、いいね。すごくポジティブな感じになるよね。」と言ってめちゃくちゃよろこんだ。

ラフォーレ「カール・ハイド展

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