「感想」を確認に~「岡上淑子 フォトコラージュ 沈黙の奇蹟」@東京都庭園美術館

1950年代に集中的に制作したコラージュ作家、岡上淑子の展示に東京都庭園美術館へ。
実は二回目。さすがに同じ展示を二度見に行くのは稀だが、とても楽しみにしていた展示だったにも関わらずどういう訳か最初に見た時に「はっきりした感想」が思い浮かばず、なんだかもやもやしていたからである。

理由を考えながら見ていくと、ある程度はわかった。

1.コラージュのモチーフとして結構細かい物品が多く、目と脳が泳ぐ。
画面は小さいが具象物の情報量が多いため、頭の処理に対しオーバーフローした。
2.結局のところコラージュというのは「いわくいいがたし」が志向され組み立てられているのであって、「イメージ」としてはばっちりしっかりの強度があっても、言葉にしづらい。
(分析的に見るなら、時代背景とかフェミニズム的な視点とか言葉や思考でひもとく手がかりはありそうだが、そうした言説はちゃんと書いてあったので自分ではあまり改めて考えたり感じたりしなかった・・。)

途中でエルンストの素晴らしいコラージュ・ロマンのコーナーなんかもあって全体としていい展示だ。
1回目に一緒に行った、諸展示に安々とは高いお点を付けない知人も「おもしろい!」とご満悦だったし。

それにしてもコラージュという技法(の本質を用いた優れた作品)がいかに激しく「統合的なもの」であるかを改めて認識する。
コラージュにも様々な情緒や構想があるし、必ずしも全てとは言えないが、個々の素材間は限りなく遠く離して、最終的に一つの画面に展開するときには人の脳の統合作用を刺激してイメージを絵空事でなくむしろリアルにする。
言葉で言える範囲のためとても雑駁な例だが敢えてあげると、タキシードきた七面鳥みたいなえせ紳士って、いますよね・・。離してからくっつける、この移動距離が大きければ大きい程おもしろい。

コラージュは、分裂的で、超現実的なものと思われているかもしれないが実は真逆。
様々な芸術技法の中でもことさら、脳において賦活させる機能という点からは統合的であり、そのイメージはむしろいかに現実的であるかを競うているのだ。

4月7日まで。
「岡上淑子 フォトコラージュ 沈黙の奇蹟」展

同じカテゴリーの記事

  1. 骨と鉄

  2. 根来(ねごろ)と、マカロン

  3. リテラシー超克 眼福の嵐 東美アートフェア

  4. マチエール採集の収穫 ~ FACE展 2019

  5. Katrien De Blauwer @POST(恵比寿)

  6. 中谷ミチコ 「 白昼のマスク / 夜を固める」@アートフロン…

Blog「原初のキス」