視線の上下左右とスウェーデン

翻訳をやっているため英文と翻訳文を比較して見ることが多いのだが、PC画面上でそれぞれの文(原文と訳文)を上下に配置している時と左右に配置している時では、自分の場合上下に配置している時の方が格段にやりやすいことに気づく。

単純に視線の移動距離の問題かとも思ったが必ずしもそうではない。眼というのは脳に直結しているものであって、左右に動く時と上下に動く時の脳の活性度が違うのではないかという仮説を立てたが、ネットでちょっと調べたけどよく分からなかった。
そういえば自分はフワンと左右に広がっているような絵はあまり好まず、えーと、こう言っては何ですが一般的な構図の風景画や何かはいくらうまくてもあまりグっとこないのですが、掛軸(もはや比べようもないものを並べているがあれは主には本紙(絵の部分)がタテだから風景が描かれててもかまわない)の方が好きだ。
これでいくと間違い探しなんかも左右に並んでいるより上下に並んでる方が得意ってことかしら。

いずれにせよ自分で気づいてなかった自分に気づくっておもしろいこと。ていうか、何であれ知らなかったことに気づいたら、大抵の場合、少なくとも興味深くは感じるものであろう。今朝ワイドショーを見ていてスウェーデンのコロナ対策が、自分がしょっぱなこの問題が起こった際に素人ながら直観的に考えた、「お年寄りを守って後の人々は主として普通の生活を送り集団免疫を獲得する」作戦であったことに衝撃を受けた。(因みに検査はしかるべく行われているし、「普通の生活」における一定の制限事項もかなり明確になされているので、さすがに素人の思いつきとは勿論全く異なる水準で展開されているのだが。)
但し彼らの戦略にしてからが、結果が証明するにはまだ今暫く時間がかかることであろう。

「日常をできるだけ維持する」スウェーデンのコロナ対策

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