あいまいな日本の私

「あいまいな日本の私」とは大江健三郎氏の講演集だが、昨今自分は改めて日本は曖昧だなぁと思う。もちろコロナ禍についてだが、これは決して批判したり真剣に不快を感じたりしているというのではなく、客観的に見て、文化的に興味深いと思っているのである。

例えば、専門家が感染爆発の可能性を示しつつ規制の自主的な緩和を実質的には容認する発言をしたり、何十人もずらずらと肩を接して並び、その誰もマスクをしていないという、安倍首相の会見環境がシュールであるということ。欧米ではあまり見られないと思うが言ってることの中、また言ってることととやってることに結構な矛盾がある・・。(それにしても安倍さんの後ろでずらりと壁際に並んでいる何も発言しない人々はそもそもあそこにいる必要はあるのだろうか。)屋形船の運営をしている人がTVで、専門家が屋形船を危険な環境として依然言及していることについてがっかりしたと述べていたが、これからの季節換気も意識的にある程度できるだろう屋形船よりも、街中に何万倍も存在する飲食店の方がよほど危険であろう。(専門家の提言については、行動に関する結論は同じかもしれないけど、その結論を出したプロセスのデータや説明は、もう少しほしいという感じがする。)

また、自分が今般大変リアルに理解し面白いと思ったのは、いわゆるところの専門家は必ずしもコミュニケーションにおいて技能が優れているということはなく、これらは明確に別のスキルだということ。
毎日のようにワイドショーやニュースを見ている自分にとって、こちらの専門家はお話がわかりやすいが、こちらの方は全然わからないという区別ができてくるように。

自分の身に置き換えてみれば、例えば美術作家が人に何かものを教える時にうまく教えられるか、即ち重要なことをしかるべき順序で論理的にわかりやすく伝えられるか否かということは、美術とは別のスキルであるのだから、しっかり心して取り組まねばならないということである。

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