ああいう大人になってもよい・・画廊劇『焚書都市譚(三月版)』@LOKO GALLERY

展示やイベントというものは、実際に行くまで自分がどういう感想を持つかは決してわからない(「ルノワールなんだから絶対感動しなくっちゃだわ」、とか最初から決めて行く場合を除く)。
そして大抵の場合、それらは良かれ悪しかれ我々の人生を多少なりとも変える。日常的ではない集中力でもって作成された物品とか時間なのだから、人間の脳はそれらの濃い刺激を浴びて心身に何らかの影響をデリバリーし、それがドミノ倒し的に次々と微細な変化を人生に及ぼしていくはずだ。

即ち、感想も影響もはっきりわからないものの、毎日ただ同じことを繰り返すのではなくてそういう場に行くならば、いいことの(も)起こる可能性を広げることになる。
これらに足を運ぶ人々はだから、好機の狩人なのである。

と、いうことで昨日LOKO GALLERYで開催された画廊劇『焚書都市譚』に行った。
演劇・美術・音楽の複合的なパフォーマンスの中で観客は自らも一部の展開に加わりながらギャラリー内を移動する(正確には後述の「仕切り」によって移動させられる)。個人的に特に気に入ったのは原作者であり主たる演者でもある古川日出男氏の役割なのか実像なのかの虚実入り組んだ演技、というか自分には「仕切り」という言葉が浮かぶ、であった。「生まれ変わったらああいうタイプになるのもいいなあ・・」と見ている最中に思った。異論は(かなり)あるかもしれないが自分はおとなしい方で、あんな風になれたら違う世界がひらけて面白いかもしれない、と思ったのである。

そして翌日であるところの今日、昔北陸の地方都市でバリバリの文学少女だった頃に書いた長大な詩の所々をなぜか克明に思い出し、それを再び書き起こす、という所業に出た。始めはなぜ突然こんなことをしているのか訳がわからなかったが、昨日芝居を見たせいであることに追って確信を持って気がついた。恐らく、当方の常々主張する脳の「クッキング」機能のせいで、元々大好きだったくせに今や大嫌いになっていた自分の「言葉」というものに対する不信が好意方面へと、少々移動したのである。

思ってもなかった仕切りをしたいという欲望を見いだしたり、言葉に好意を取り戻したりと、これらはごく個人的な体験であって、全然イベント自体のレビューの体は成していないが、行ってトクした。
ことほど左様にそれぞれに行ってみなければまるっきりわからない影響が期待できそうな、高熱量・好イベント。

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