都会のマチエール

昨日最寄りの駅の近くの交差点で信号が変わるのを待っていて、ふと側のガードレールに目がいき、そのなんていうのか金属の横棒がすごく白くて最近塗ったのかツヤっツヤでキズひとつなく、素晴らしい人工的なマチエールだったので自分は見惚れてしまった。ごたごたした道端で、まるで「無垢」や「完全性」を表象しているようであった。ガードレールにまで感心するというのもどうかと思うが、今や人間は、人工物においても以前よりは相当厳密に面白い面白くないを切り分けるようになってるのかしら。

そのうちパソコンモニターの表面のマチエールの良し悪しすら気になるようになるはず。
(自分はまだそこまでいってない。内側から光ってると、まだ光を見てるって感が強い。)

そうなった時、目にするのがだんだん減っていく自然物の見え方というのはどう変わってくるだろう。
感度は劣化していくか、生命体として依然適確に保持されていくのであろうか。

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