JRのホームにて、電車がゴーゴーと通り過ぎたくさんの人が乗り降りするのを見て、インターネットのみがものすごくえらい訳でもない、と悟る。
江戸時代にこの光景は想像もつかなかっただろう。今日、例えばネットによって人類が多大なる利便を享受しているのは確かだが、技術の進歩というものは基本このように人々の生活をガラっと変える性質を有しており、恐らく原始時代から連綿とそれは続いてきたのだ。
自分は信者ではないものの初期仏教を思想的に面白いと思ったため少しかじったことがあるのだが、大変興味深いことにそこで、「物事の変化の速度はなんであれ一定である」という説に接した。見かけはインターネットでハデに急速に世の中が変わったと感じちゃうところはあるけれども、進歩(即ち変化)は一定の割合で日々着々と進んでいる。