酒による比喩

絵画は醸造酒であり、版画は蒸留酒である、というのは自分が持っているジャンル横断的な認識なのだが、この理由をいざ言葉で説明しようとするとなんだかめんどうくさいことになる。でも、それこそ先般酒を飲んでいる席でこの考えを披歴したら即座にそうだ!と同意してくれた人がいたので、あながち根拠のない妄想でもないのだろう。

池田満寿夫氏が確か60~70年代位に書いたエッセイに、油絵をやってるとマチエール(いわゆる絵肌、絵の表面の持っている質感のこと)を作るのに苦労して正直疲れ果ててしまうが、版画なら技法を選んだ途端にマチエールはある程度規定されてしまうので、自分にはそれが合っているし好きだ、みたいなことが書いてあって、この言説は上述の醸造酒蒸留酒理論と、自分の頭の中ではつながるものであった。

う~ん、でもこういうと、単に時間の問題、みたいに聴こえちゃうかな。そういうことでは、ないのだけれど。

版画ってのはその名の通り「版」があって、それを何かのプロセスを通すことによって元とは形態及び質の違うものに転化する。でも絵画はその存在自体の中でじわじわと積みあげるように自らを変えていく、という仕組みを持ったものなのだ。

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