絵画は続く

絵画が終ったとか終わるとかいう議論はもう随分と昔からあるが、終わるわけない、とはっきり思うのである。

自分の定義によれば絵画とは人間の意識の転写、即ち外在化したものである。意識がある限り、そしてそれを外に表出したいと思う限り(これはヒトという存在の条件でもある)、終わらない。テクノロジーだの社会・政治情勢だのの変化はエンドレスだから、それに反応し続ける意識は色々と少なくとも表向きの変遷を遂げる。つまり論理的に言って絵画は終わらないはず。

別に絵じゃなくってもクリエイティブなものは多かれ少なかれ意識の転写ぢゃん、と言われればそうだけど、特にアナログの絵は物理的に可変性のある簡単に言えば流動的なるものを何かにすりつけたりして固着させるということにより成り立っており、この流動性と意識の類似性が高いが故に、意識の転写技法としてはかなり原初的なものであると思うのである。技法としての純度が高く、だからこそ、そう簡単に終わらないはずだ。

ところで、私が描画のツールとして筆を殆ど使わず、スキージとかせいぜいペインティングナイフとかを使うのみであるのは、この認識に関係がある。自分てば意識にせよ肉体にせよ、かなーりゆるゆるなものだ(つまり定位してない、常に動いているということですね)、ゆるゆるぐだぐだなものを、細い棒の先にふさふさのやらかいものがついてる道具(つまり筆)という、その長い柄ゆえにこっちの動きがてこの原理でもって簡単に何倍にも増幅されちゃうようなものでもって「転写」したくない、と思うのである。そこで「正確さ」を狙うのはかなり難しいではないか。スキージやペインティングナイフは自分の中心、言ってみれば骨格と結構ダイレクトに動きを連動させることができる、でも筆となるとそうはいかないよ・・・。

ん?ではなぜ多くの人が筆で絵を描くのかな?それはゆるゆるの自分にゆるゆるのツールをつなげる方が、ゆるゆる度合いをより繊細に画面上の出力に向けて制御することを要し、それができるようになったあかつきにはゆるゆるのしかるべき増幅によって真の人間存在たるものを豊かに描けるようになるからかしら・・・?

絵画が終るか終わらないかより、自分にはそっちの方がよほど興味深い問いのような気がする。

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