きれいにしたい

以前ジョサイア・コンドル設計の岩崎邸にいったとき、色々なもののディテールに隙間なくレリーフや装飾が施されていることに驚愕した。たとえば椅子を見たら、なんというのか知らないが脚同士をつないでいる梁みたいのにすら、蔓草のような模様が細かく彫ってある。空間とか間とかいうものを仇のごとく嫌っている感じ。すべてを、確実に自分の意識の内に置いておきたいかのように。日本の美意識からは随分と遠い。

我々日本人は結局、キタナイことには、原則的に耐えられない。欧米の美意識が基本的に「醜」を含んだ懐の深いものであることに比較すればかなり偏狭。日本人がきれいにしたいのは、生理的にそうなんだから仕方がない。湿気があってカビやすいから逆にそうなったのもあるのかしらん。

日本の、この清浄さ、またそれを空間的に展開したかのような、垂直性・正面性・対称性等々に対する偏愛は、生活上の信条や創るものにも多大な影響を与えている。

この感性を先鋭化して、具体性のある表現を与えたら、富士山や着物の女やその他もろもろエキゾチシズムの方向性より、あるいは現代という変化する「現象」の描写より、たとえば西欧社会に対しては、センセーショナルなインパクトがありそうな気がする。

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