人類

本質的には社交性のかけらもないのに(そう見えるかどうかは、別)、これまで人にさほど嫌がられず敵も作ってこなかったのはむしろ、個々の人間というものに実はあまり興味がないからではないか。年をとるごとにこの傾向は強くなってきており、人間がだんだん「人類」とかさらなる上位概念の「いきもの」に見えてきて、大人も子供も、国籍も、差異ではなくその共通の何かの方にかなり比重を置いて見るようになる。

ただ、差異を見ること、共通のものを見ること、これは例えば身体における部分と全体のように、行き来したり、ときに重ねて見たりするのが一番いいかもしれないな。人間の認識ってでも、たいがいの場合どっちかに寄りすぎて、寄りすぎることによって振り子みたいに逆方向に動く。つまりある極端さをはらみながらそれをエネルギーに行ったりきたりして、ヘンなことしなければだんだん利口なバランスに至るように進んでいくんだろう。

その程度には、自分は楽観主義者である。

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