男たち

自分が地図が読めなくて道に迷うという話を、私とは真逆で地図を心から愛し、恐らく人生において私の5万倍位ありとあらゆる地図を見て使いこなして来たただろう経歴を持つ男性と会食している時たまたま話題にした。すると彼は、私が迷うのは「東西南北がわかっていないから」だと言う。

地図の読解力より問題が上位に流れたが、それは確かにそうだ。自分の座っている場所の丁度正面にレストランの入り口が見えるが、あのドアを開けて外に出た時顔が東西南北のどちらを向くのかを私は知らない。それにそんなことが簡単にわかる人がどれ位いるものか興味を持ったので、別に試すつもりでもなくでは今ここで東西南北がわかるのかと彼に問うてみた。「わかる。こっちが北だ。」とその人は即座に、我々が向かい合って座っているテーブルの脇の白い壁を指さした。

別の折、関わっている会社の社長とマンションの10階にあるオフィスで話をしていて、近くの幹線道路のつもりでその方向にあると思っていた窓の方を見ながらこの下の太い道を・・・と話し始めたら、「その道はそっちじゃない、かわいそうに、君は方向がわからないんだね。」と言われた。

彼は外国人でここに常に暮らしている訳ではない。一方私はと言えば偶然だがオフィスからさほど遠からざる所に居を構えて既に20年以上が経過しているのである。

それにしてもなぜ男たちは、まるで飛行機に乗って地上を俯瞰しているかのように、空間における自分の相対的位置関係を捕捉している人々が多いのだろうか。そしてそうした感覚で世界を眺めた時にいったいどういう心持ちがするものか、自分には想像もつかない。

とはいえ自分がもし方向感覚がバリバリに鋭い人間に変貌したら、必ずや失うものもあるのではないだろうかと(やや楽観的に過ぎるのかもしれないが)思う。大抵の弱点は強みに転換できるものであって、この弱点の有効利用法について自分はそれを使いながらも自覚していないか、あるいはまだ思いついていないだけかもしれない。

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