間違ってる感というもの

以前ちょっとしたことがうまくいかずイラついていた時、「んー、なんか間違ってる気がする・・(自分のやってることが)。」と知人にこぼしたら、「そりゃ、間違ってるからじゃない?」とサクっと言われた事があって、そしてそれは確かにそうであった。

申し訳ないことに日頃政治にはあまり関心のない自分ではあるが、一種感覚として現政権については以前からなんか間違ってる感があった(直接間接に選んでるんだから自分の責任がゼロとは言えない)。
そのなんか間違ってるというモヤモヤ感の本体がこの処自分の中ではっきりしてきて、それが「コミュニケーション」と「ロジスティックス(兵站)」の能力、そして「インテグリティ(誠実さ)」の、大勢としての欠如ということに悪い意味で結実してきたように思う。
東京の感染確認者数にしても、分母情報がないためもはや自分が「何を」見ているのかがよく分からなくなってきた。例えて言えば朝ごはんの食卓に奥さんがなんか出してきたが、それがバナナなのか、オートミールなのか、はたまたうなぎの蒲焼なのかわかんないのに食べなきゃいけない的な感じで大層不安なり。
ハフポストの以下の記事を読んで、当事者の方に深く同情すると共に驚いた。

まさか私が?新型コロナ疑惑で自宅療養する35歳独身女性の日記

本日のアート思考:「間違ってると感じたらほぼ間違いなく間違ってる」
(実際、絵など描いていてなんか違うなと思ったら 100%改善の余地がある。むしろそう感じるのが重要なのであって、感じなくなったら、おしまい。)

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