終了間際のマン・レイ展へ。夏バテの余波で若干体調もまったりしている中、マン・レイよ、ツカんでくれーとの期待満載で赴き、意外にも、ほのぼのした感じで帰ってきた。これだから現実はおもしろい。
悪い意味ではないのだけれど、この展示で自分がマン・レイの全貌のうち少なくともエッセンスのなにがしかをうけとめえたのか、それとも、自分が今まで思っていたマン・レイの方が虚像なのか、どうにもわからない。たとえば、自分も知ってる有名な写真などが、オフ・ホワイトの広めのマットの、黒い上品な木製のフレームにおさめられていると、どうも自分が美術書などでみて「おー」と思っていた作品と、違う気がしてしまうのだ。
イメージの強さが直接的に迫ってこないというか・・もっと自然でさりげない。以前東京都写真美術館でマン・レイの作品が比較的まとまって展示されていたことがあり、その際感じた衝撃ともまた違う・・・(会場の照明が比較的明るいということもあるのかもしれないけれど)。
金色の唇をはじめとするオブジェや実験的映画を中心にかなり楽しんだ。一方、掲示されている年譜や、写真のモチーフなどを見て、彼が結構な艶福家であることがほのみえることがやたら印象に残り、マン・レイ展の副題は「知られざる創作の秘密」であるが、帰り際同行知人と話した、『マン・レイ展~「女」と「実験」』という副題の方が、しっくりくる感じがしたりして・・。女と実験、を婉曲に言ったら創作の秘密ってことになったのかしら。
そして、マン・レイ氏は、このような感想をもし聞いたとしても、怒らないだけの度量があると、妄想的ながら感じたのである。まるで遊ぶように創る「自由」の感じ、これがまごうかたなき魅力なのだ。
「マン・レイ展」(東京国立新美術館にて)