根来(ねごろ)と、マカロン

先日25日は展示・イベント3連発。まずはホテル・オークラ脇の大倉集古館で「根来展」、東京オペラシティーで「ヴェルナー・パントン展」、フランス大使館旧館でアートイベント「No Man’s Land」のオープニングセレモニー。

今年の夏ごろ、白金のロンドン・ギャラリーという所に飛び込みではいったら一見してただものではないオーラを放つ漆器が並んでいて、それが根来だった(同ギャラリーは本展を協賛)。根来は中世に紀州・根来寺で生産された漆器に由来とある。朱が塗られたものは使っているうちに自然と地の黒が出てきて、作為を離れた美がシステムとしてとりこまれている。厚からず薄からず、剛にも柔にもよらず、シンプルな造形と脚部などの繊細な細工の対象が清冽に美しい。ものに人格ならぬ物格が宿っている。根来見ちゃうと外に出たとき対比からか色んなものがすごく粗雑に見えてしまうほど。

ヴェルナー・パントンはデンマーク生まれの有名なインテリア・空間デザイナーで、60~70年代のサイケな家具、室内空間がおもしろい。しかし彼が構想した、猫みたいに縦に生きる、家具の可動性、モジュール化されたシステム家具みたいなものは、人間の生理と多少反するのか、今の処さほど普段の生活に定着してないな。あと、晩年の自宅の写真が最後の方にあったのだが、結構フツーだった。 確かソファとコーヒーテーブルは嫌いと書いてあったけど、まさにそこに座って奥様らしき方と優しそうな顔でにっこり。

夜、取り壊し予定のフランス大使館旧館でのアート・イベント、No Man’s Landへ。絵画、写真、インスタレーション、音楽、ファッション等多数展示されており、来場者は恐らく1000人くらい、ものすごく盛況である。ファッションの展示は説得力のある作品が多い。ヴィジュアル・アートは・・・「意匠」や「アイデア」中心では少々つらいなーというものも散見。人が創っても自分が創っても、イメージ自体として強度のあるものを求めたい。

オーストラリア出身のBenjamin Skepperの、チェロとチェンバロの演奏は秀逸だった。ミニマルとゴシック、ミステリアスとポジティブ、一方向に行かないところがいいですね、と彼に言うと、「それが目的だから」ということ。世話になっている美術家の方にも言われ続けているが、ほんと芸術って絶対に一方向に行くことじゃない(逆に考えられている向きが多いかもだが)。典雅なチェンバロにはラテン語で、Veritas liberabit vos. (真理はあなたがたを解放する) と書かれていた。

デザートにマカロンを食す。甘いものがそれほど好きでもない私としては、マカロンと言えば丸くてかさかさして色んな色をしてるだけのなんか今ひとつ存在理由のわからない菓子だったのだが、ふるまわれたそれはねちねちしてガワと中身が一体化し、食べると自分ともみっちりと一体化してくれる異常に美味な菓子であった。私がこれまで食べていたそれは「うそマカロン」だったのだ。一緒に行った知人もマカロンはマジパン、ババロアに並び最も好まぬ菓子のひとつだったそうだが、7コくらい食べていた。我々においておいしいマカロンはものすごくおいしいという概念が確立され、おそらくそれはもう一生揺るがない。

シャンパン、ワイン、食事もすべて一分の隙もなく美味。フランス恐るべし。

根来

ヴェルナー・パントン展 (東京オペラシティアートギャラリー)

No Man’s Land 創造と破壊@フランス大使館

Benjamin Skepperのサイト

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