VOCA展2019で震え上がるの巻

上野の森美術館のVOCA展2019へ。
感想を述べたいが「かんそう」になりそう。作家さんが33名もいるので感覚的にせよ総括してまともな感想など言えない。
があえて総括するとあまり明るい感じはしなかった。明るくなくて勿論いいし質とは関係ないし、全員が自分の勝手な定義で明るくなかった訳でもない。大体理由もうまく説明できないのだ。(ちなみに翌日同様に平面の著名コンペFACE展2019に行き、こちらはあまりそういう印象はなかったな・・。)

この印象とも関わるがある事件があった。
他と軽く区切られた展示空間にあった作品に近づいていった際、それが人の死体様のものを描写してあると見て取り、生来そういうイメージに耐性の低い自分ははっきり見る前に撤退したのだが、「あれって現実からの描写?それとも創作?」ということがどうしても気になってわざわざ作品の側に戻り、絵を極力見ないようにしつつキャプションの解説だけ読むという生まれて初めての行動を取った。すると、「現実か創作か」みたいなことが書かれていて微妙に安堵し・・・しかしまさにその術中に落ちた、ということを経験したのである。

美術は感覚に対し多かれ少なかれ侵襲的なものなのであることは認める(全く日常の感覚になじんぢゃったら、そもそも作品の意味ないよ・・)。そして件の作家さんはそうしたテーマを追求しておらるるのだが、事前に美術館サイドが警告を貼って注意喚起をして頂きたかった。
好きで足を運んだ会場だが不意打ちで見たくないものを見るかもしれないというそこまで了解していない。昔ある著名なコマーシャル・ギャラリーでも同様の刺激的図像が並んでいて、目の焦点が完全に合う前に逃げ帰ったことも思い出す。その種の作品については、見る見ないの選択肢が与えられずに不意打ちはいかにもきついのである。(ところで自分は会田誠さんの一部の過激な作品のイメージに対しては一度も震え上がったり嫌悪を催したことはない。考えてみたらそれはそこにある作品としてのフィクション性の質とその感受が、自分の神経を守ってくれているのだ。)

と、いう中で私が極私的オーディエンス賞を授与させて頂くのは田中真吾氏の焼いたベニヤ板と角材を組み合わせた大きな作品だ。板を端から焼いた黒と地色の明度のムラが、五木田智央さんの絵のようである。スカっとしてて、よかった。うれしくなった自分は、側に近づいていって匂いも嗅いでみたが、予想した程焦げたにおいはせずかすかに感じるだけだった。事前に干して?おいたか消臭剤様のものをバンバンかけたのかしらん・・。
同展には、絵画に寄った写真、写真に寄った絵画、なども多かったが、これは絵画をほんの少し擬態した彫刻というべきか、ていうかつまりは立体作品だ(笑)。

そう、「平面の作家たち」の登竜門であるVOCA展では高さ20センチ以下は平面と見なす、ってことになってるんだ!それより、「平面なるもの」を作家・推薦者サイドが定義せよという方向もある気がするがどうして20センチなんだろう?その20センチの元は何が参照されてるのか?これとか、40歳という微妙な年齢で出展者の条件がある点など(勃興する20代とかならまだハッキリする感じだけど。40歳すぎたらゼツボー的と言ってるみたいな)、それらの点が個人的には脳への刺激としてとても面白いと思い、暗かった気持ちがちょっと明るくなったのであった。

本展示は3月末までです。

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