いいものというのは、ことコラージュの制作においては、どかどかっと素早くできなきゃおかしい。一本の線みたいに、感覚、実行、それがインプットになって次の感覚、実行という風に。
基本的には感覚の命ずるところについていくのだが、ちょっとした頭の要素、例えばExtremity(極端さ)とかいうことを、忘れないでいることも重要。「美とは見事な過度である」と言ったのはユルスナールだったかな。いずれにせよ、美しいということはある意味、日常性に対抗するような異常さ、極端さを有しているということでもある。
まあ素早くと言っても、それがいつも実現できるとは限らないし、「降りてくる」のを待って何もしない訳にもいかないので、格闘したりもするのだけれど。つまり現実的には、格闘することもそれはそれでよし、とするしか、ない訳だ。