かなり以前にコラージュを始めてからのち、何年もたってから、はさみを小さいのに変えた。
それまではゾーリンゲンのそれなりに切れ味のよい普通の大きさのものを使っていたが、小さくて刃もほっそりしたものに変えたら、とんでもない位切るという作業が効率的かつ精緻にできるようになったのであった。
今から思うになぜもっと早く気づかなかったんだバカバカ・・と思うが、とにかく全然気づかなかった。
ストレートなコラージュの素材は多くの場合印刷物から取るので、紙のサイズはあまり大きくなく、かつ、作品であるのでその切り取りの精度はある程度以上高く保たねばならない。とすれば、素材の細かい稜線を切ることのできる小さくて華奢で小回りのきくはさみがいいに決まっているのに・・!
恐らく、ゾーリンゲンで大きな不服がなかったのがいけなかったのだ。
こういう状況が進歩においてはごく問題。携帯電話がなかった頃凡人たる自分は、待ち合わせの場所に知人が現れなかったらうちに戻っておっとり刀で固定電話の着信を待つか、自分で掛ける、ということをやっていた。より便利な状況というものが思いもよらなかったので。
明確な不便や不服といったものは、通常逆に我々の眼を覚まさせてくれるものだ。
もとい、それにしてもなぜ小さい鋏がいいと気づいたのか、自らハッとしたという記憶もなければ人に教わった覚えもない。ただ鋏といって思い出すのは昔、裁縫用の糸切ばさみ(握り鋏ともいう文字通り握ってすぐ使える例のなんというかカニのハサミ状の・・)で全てのコラージュの素材を切っていた人を見たことだ。
これには心底驚いてしまった。もしかしたらそこで、ゾーリンゲンだけが解でない、という思考上の可能性が開けたのかもしれない・・・。