コラージュと作意

素材の組み合わせとしては正しいのだけど、作品として成立しないことがある。素材の配置にインパクトのある運動性が確保できなかったことが多い。インパクトといっても要するに物理現象として、それが空間の中にあるとしたらごく自然であるということで、つまりは自然の発現を「自分の意識で」、無理矢理やろうとするから失敗するのである。

人は自然の運行に邪魔をすることしかできない。作為しなければ、もっと美しいはず。

意図することは必要だけれど、むずかしさがどこにあるかと言えば、意図しながらも作為にならず自然の運行を妨げないこと。

意図しながら作為しない、って、祈りに近い意識状態かもしれない。実現を念じながらもそれを成すのは自分ではないということなのだから。

でも実際は、意識の問題でなくからだの問題だったりして。寝不足とか。からだの感覚で計っている垂直性とか、正面性とか、動きとか、体調によっては微妙に、ずれる。

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