存在の好き嫌い

目薬、という存在が自分はあまり好きではないことに気づく。必要な人もいるだろうし、好きでないからといって世の中から排除したいと思うほど思い切りのいい性格でもないが。

しかしこの世に存在するものすべてが、自分が今、好きか、嫌いかにわかれることは、これは事実としてきっぱりはっきりしたもんなんだろう。自分は亀は好きだがごきXXは好きでない(生命体なのに嫌っては気の毒だから伏字にする)。画鋲は嫌いだけど紙はコピー用紙から手すきの和紙まで基本いかなるものも好きで、体重は嫌いだが身長は好きだ。

では、「自分」が好きか嫌いか。これは「好き」「嫌い」の軸を一挙にとび超えて、好きだろうが嫌いだろうが、ただ単にいつまでもどこまでも「大切」なだけなんである。 これはみんなそう。だから無駄に傷つけたり争ったりしてはいけない。

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