父のために

私のはじめての個展は、10歳位のときに父のために家で開いた展示。
夕方からサインペンやなんかで色々な紙に色々な絵を描き、弟の部屋が丁度いい大きさだったので一面にそれを貼って、父の帰りを待った。

ひととおり観てから彼は、着物の女の人が雨の中、狭い路地で立っている絵が一番好きだ、と言った。今でもはっきり覚えている。

それから随分とたって、父が亡くなってまだ何年もたたない頃に、当時勤めていた会社の仕事でメキシコに出張した。
ソンブレロをかぶった楽隊が各テーブルをまわってチップをねだるうるさいことこの上ないレストランで、同席していた教育学者が、「子供が言葉を覚えるのに一番いい方法は、親が読み聞かせをすることだよ」と言ったのを聞いて、涙を抑えるのにとても苦労した。

文字を覚えたてのころ、同じ布団の中で私の好きな犬の絵が入った本を父が読んでくれたのを思い出して。それを聴きながら、「ち」と「さ」の字の違いがよくわからないなあ、と感じていた自分と一緒に。

何かを創るということは、実体的であれ仮想的であれ、総体的であれ個別的であれ、「誰か」に向かっての行為であることもできるし、「自分」や「真理」に対してだけ向かう行為であることもできる。それぞれの立場をとることによって、創るものはどのように、変わるのだろう。

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