アートがわからない、は一種の文化である

アートのことがわからないという人、自分の行くべき方向性やそもそも自分自身がなんだかわかんないという人、こういった言葉を聞くのはほとんどが「日本」だ。

日常の行動範囲がほとんど猫の縄張りに近い自分がなぜこういうことを言えるかといえば、コロナの前は世界を股にかけていた知人も、こうした表明は日本人しかしない、といったから。(ちょっとサンプル数が少ないが、取り急ぎよしとしておく。自分の少ない体験から言っても例えば展示などすれば1週間に10回位この言葉を聞くので、やはり比較的「日本において日常的」な言いようだと思うのである。)

つまりこれは、一種の地域文化なのだ。

そうしていかなる文化もその存在している訳というものがあるし、正直な処私は、日本人がアートがわからないと公然と表明したり(この発言がいかにショッキングかは、英語で、I don’t understand art.と聞いた場合の奇異でかつ絶望的な感じを想像すればわかる)、自分の存在の行くべき方向やそもそも自分って何?と問う、その様が好きだ。別に今後変わっていったってそれはそれで歓迎ですけどね。

法律で強制されなくともマスクをしたりとか、政治が信じられなくともbehaveする、それとアートがわからないと表明したり自分を探したりするのは、どう考えても同根なんだもの。

一方国会で議員が居眠りするのも一種の文化だが、こっちの方は正直辞めてもらいたいな・・。あの一分に一体いくら、税金が使われているんだろうか。

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