壊れない(多分) 

道を歩いていて古い建物を見つけるとよく、「壊れる!壊れる!」と騒いでいる、と知人が言うのである。そんな癖が自分にあるとは知らなかった。ただ、意識してなかっただけでさもありなんという感じ。なぜなら自分はこわがりで極度の心配性なのである。

最近もNK方面とかTとかの関係で頭からBが落ちてくるのではないかと非常に心配している。具体的手が打てないのでこういう心配の意味は殆どない。はっきり言って疲れるだけだ。これから選挙に立候補して政治家になったとしてもことの進捗に影響を及ぼす程速やかに出世するのは無理だろうし。

2ちゃんねるで心配性スレを眺めてみた。例の灰色の地の上にどちらかと言えば黒い言葉が渦巻いていることの多いこの場所だが思ったほどでもなかった。皆、人に攻撃されるのがこわいのか、節度を保っている。

しかし私が驚いたのは、そこがあまり黒くなかったことではなく、自称心配性の方々のこわがるもの、行動原理、やることなすことや避けること、思考の展開方法などが、まるで分身を見るがごとくに、私とそっくりなことだった。

不思議なことにそれから私の心配性は、ごくわずかではあるが(3 ppm位)、薄まった。

その理由を考えるに、自らの心配性を少なく見積もって「個性」とか、いやもっと正直に言えばある種の「表現」ですらあるかもしれないというおごった評価があったのかもしれない。実は単にDNA的に規定されているだけなんじゃないのかしら、でなければこんなに没個性的に似ている訳はないではないか、という現実的認識が生まれて・・・。

つまりは少々白けたのである。

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