考えることよりも

何かをするのが速いか遅いかは、もしかするとただの習慣や、それがその速度でしかできないという思い込みに基づいているのかもしれない。

最初その速度が根づいたときには、何らかの価値観や心身の状況によってそうなっていたかもしれないが、価値観が変わったり心身の条件や能力に変化が生じたときにも、その速度が居座ってしまうのが問題だ。これを打ち破ってタスクの処理速度を高速化するには、それが実際にはできることを体験してしまうことがてっとりばやい。あるいはそれがまさにできている人や状況を見ること、できうる、ということを知ること、これだけでも相当「頭が変わって」、習慣的速度に喝を入れることができる。

以前、人材育成のセミナーのサポートに入ったことがあって、印象深い経験をした。ある処理タスクをグループに与え、当初15分程度かかっていたもが最終的には十数秒でできるようになったのだ。別の機会では3分のタスクが1秒になったこともある。単なる慣れによる高速化ではなく、もちろんプロセスやメンバー間の協調・分業、提示されていなくてただ先入観的に頭の中にあったルールに気づきそこから離れること、などの要素はあるのだが、衝撃なのはそれがそこまでの速さで「できる」というファシリテータの情報提供で、結果が劇的に変わったことである。

つまり人間、自分の頭に自分でまず最初にたがをはめている可能性がかなり高い。それと知らずに。

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