学びということ

以前半年ほど、どういう訳か粘土を狂ったようにいじくっていたときがあって、回転台があるといいなあ、とか、創っているものの底辺と目の高さがあまり違っているとうまく形がとれないということに数か月かかってじわじわと気がついていった。専門的美術教育のバックグラウンドとは違う自分が後で買った美大の彫刻科の教科書には、これに類したことが全部書いてあった。

一方、先日、絵のとてもうまい知人と話していて、彼が、そもそも絵を人に教わろうとするなんて、そういう考え方がまちがってる、と言ったのだが、彼自身が人に師事していた経験があることからもわかる通り、これは真実でないとも言えるし、明らかに真実である側面もある。

つまり世の真実とは、ひとことでは片付かないものではないかしら。私が自分で気づいた事実と、教科書に書いてあった事実は私にとって同じか、否か。また、私がそれをもっと早く知っていてうまく実作に活用できていたとしたら、そのために私にとって必要だったことは、単なる知識以外の何かではないか。

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