間違っていると思ったらそれは十中八九間違っている。 しかし、正しいと思っても、そうとは限らない。 要は我々、明らかにだめなものに気づけないほど感覚がめちゃくちゃになることはないのだが、これでいいあるいはかまわないと思って実際もほぼそうだという状態になるには、感覚の鍛錬が相当いる。 わかりやすい(かどうかわからないけど)例で言えば、PCやっててすごく肩が凝ったとする。それにはいやでも気づくのだが、普段座っているとき自分が絶えずやっている、不要で有害な緊張については、気づかない。 Tweet Share +1 Hatena Pocket RSS feedly Pin it - 感覚 忘れる前の記事 金太郎のキャリア次の記事