情報と集中

昨年の夏家のリフォームをしていたとき、不動産経営をしている知人の空きマンションに一週間程住ませてもらっていたが、そこがオフラインだったのでメールもWebも一切見なかった。TVも、そこに備えつけてあったのはPCと一体だったのでなんだかめんどうであまりつけなかった。結局ものを創ったり、食事や散歩、知人と会ったりする少々の社交。こういう状況になると、何をするにもがぜん集中力が出てくる。

「まとめて主義」からの脱却という記事を以前書いたのだが、まとまってた方がいいこともやはりあって、精神の流れは理想的には一本の筋みたいに、あまり寸断されずに流れていた方がいいというのが自分の考え。

オンラインという状況はもちろん使いようだし基本便利だけど結構こころをぶつぶつにカットする。情報に対し、ブロックするにせよ整流化するにせよ来るもの拒まずにするにせよ立場をはっきりしておかないと、知らず知らずのうちに無駄なことに時間を費やすことになる。

無駄とは言ったけれど、むしろたいていのことは多かれ少なかれためになるから、つまり、ためになる「度合い」が重要だということである。今みたいに情報が無限に近いほど受発信できる時代においては、ますますそう。

相手のためになることを、少しだけ話す、のが初期仏教では重要と考えられているとか。
「おはよう、元気?」という挨拶を交わすことすら、出家者に対してはブッダはいましめた、ということを聞いたことがある。

 

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