消えていくものには価値がある

洗濯機の横に無印良品のプラスチック製の物入れを置いていて、その自分の目線の辺りに買い物メモを正方形の大き目のポストイットで貼っているのである。そこに今「物品消費!」て、エクスクラメーション付きで大きく書いてある。なんであれものを買おうとする前に、家の中にあるものをまずできるだけ使っちゃおうということを、自分自身に注意喚起しているのである。ちなみに今はその「物品消費!」の下にバナナって殴り書きがしてある。朝食べる分が切れそうなのだ。

もとい、家の中に既にあるものをなるべく消費することの目的、これは節約というよりも視界をスッキリさせたいから。気をつけてないとものってじわじわと増えていくし、視界がごちゃごちゃしてると頭の中もごちゃごちゃする。

ところで今日ちょっと花を買おうと思って、そこで気づいたこととして、でも花みたいに枯れてなくなってしまうものは、この断捨離志向的生活においても価値があるということ。少なくとも、買ったはいいが全然使わない運動器具なんかより、消えていくこと、あるいは花なんかだったら枯れたらまた新しいのを飾ったりするけれど花の持つ一種の生命感みたいなものは都度どの花からも受け取る訳で、その「新陳代謝的状況」が、悪くない感じなのだ。

壁に掛けておく絵なんかはどうなんですかね。もし良い絵だったら、見るたびに違う感じがするはず(私の説)。だから、見るたびに新鮮な感受が生まれて、消えて、次見る時にまた生まれている。そういう意味では、花に近い。

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