絵の中のアルゴリズム

絵を描いていて時々感じるのは、個々の絵にはそれ自体の自律的生命があって、それは創り手の自分とは別個に存在しており、まあ自分がいなければ物理的な形としては表れないが、とにかくそれを自分は観察したりその示す方向性などについていったりすることはできても、制御したり、ことさら強化しようとしたり、いいように変えたりなどはできないということだ(それをしようとすると大抵の場合派手に失敗する)。

その生命が顔を見せるのは描き始めていくらか(完成地点を5とすれば1.5から2くらいのところ)で、そうなれば自分はかなり「受け身」になれる。最初は意図とか構図とかを自らあれこれ考えたり試行したりしてるが、受け身になれば自動運転に近くなり、絵の中のアルゴリズムに従って手や頭を使っていればよくなるので、相対的にかなりラクだ。でもアルゴリズムが起動しないこともあってそうなると絵は初期の段階でいつまでももたもたするか、根気が続かずに荒っぽいことをして壊れてしまう。

起動するかしないかは自分の態度や技量のせいなのか、それとも最初四角い形から始めたか六角形をモチーフとして選んだとかそんなことなのかはっきりとはわからないが、自分の推定としては結構後者が関わる率が大きい。そして実際に起きた事象から類推して、前者即ち技量や態度にどうフィードバックしそれが結果にいかに影響していくかということが、自分としては研究に値するとてもおもしろいことなのである。

 

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