「感覚」、「思考」、「感情」について人は普段、当たり前のように別々のものとして認識している。でも実際これらの区別はつきづらいものではないかと自分は思う。 もともと一つである人の心の働きを文節しているから。これらは常に協働していて、どれかが他をリードしたり下に潜ったりしている。またその状況は刻一刻変化もしている訳で、結局の処上記の言を持って我々は、分かれえぬものを分け、その本体とは多かれ少なかれ異なるものとしてしかそれらを認識していないのである。 Tweet Share +1 Hatena Pocket RSS feedly Pin it こころとからだ 鑑賞についての提案前の記事 ある休憩の思ひ出次の記事