からだで表現している

随分昔確かローマのホテルで、朝出かけようとしてフロントの近くにいたら、柱にもたれるようにして立ったまま新聞を読んでいる、髭をたくわえた中年の男性がいた。肌寒い頃でコートを着ていた。もう何年もたっているのに、何かすごく変わったことをしていたわけでもないのに、その人のことは忘れない。

夜行ったレストランで、男性二人と食事をしている若い金髪の女性を見た。話がとぎれた折に、その女性は、首をかしげて、完璧に眼だけで笑った。顔の他の部分はまったく動かさずに。

またベルリンの知人の部屋にしばらくいたとき、中庭をはさんだ同じアパートの一室が窓越しに見えた。一人がけのソファに座って何か読んでいる白いシャツを着た男の人がいた。その姿は今何千人の人が見守るステージの上にのせても、まったく問題ないくらい静かで上品だった。

からだの使い方が文化のひとつだということを感じるのはこういうとき。

日本で普通の人がやる普通の動作に最後に感動したのはいつだったかと思い起こしてみると、内田樹さんが甲野善紀さんを招いて身体関連のセミナーを開いたとき、関西まで行って参加したことがあるのだが、そのとき合気道とか武道の人たちがたくさん来ていて、セミナーが始まるとき畳の上で皆あうんの呼吸でさっと礼をするのを見たとき妙に感動した。それはいまや普通の人がやる普通の動作、ではないのかも、しれないけど。

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