ある休憩の思ひ出

以前初期仏教に興味を持ち高名なお坊さんの何回コースかのレクチャーをカルチャーセンターに聞きにいったりしていた。1回が2時間程あって途中に休憩が入るのだが少し時間が押してしまった回がありその時お坊さんが「じゃ、これから1分休憩」とおっしゃるので1分だけ皆で静かにしていた。それから後半の講義が始まった。

自分の記憶の中では、この休憩こそがこれまでの人生の中でも特記すべき素晴らしい休憩だったのである。すっきりして活力が戻り、後半の講義も最後まで集中して聞けた。でもじゃあ、我々の普段の休憩ってなんなのかしら。なんでこんなにしょっちゅうそれなりの時間をとったり、それでもさほど休まらないというのがあるのか。

最近読んだ本に書いてあったが、例えば、何々を「やらなきゃ」と考えるだけで脳は若干混乱するそうである。やらなきゃ、ではやるのかやらないのか、やるとしてもいつやるのか、脳にとっては大層不足情報が多い状態らしい。これはなんとなく分かる。だから「やる」(あるいはいついつやる、またはやるのをやめる)、と、自分に宣言するのがいいとか。

上記の休憩では、事実上自分が自分に「休む!」と宣言した状態になったのかもしれない。それでもって生理的な状態にまで瞬時に影響した可能性が確かにあると思う。

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