ハクセキのキコウシの豊かさ

「白皙の貴公子」という言葉があり、最近ほとんど聞かないがかつてある美術専門誌で自分の美術の先生であったところの北川健次氏のことをこう評してあるのを見て、この言葉、いいなあ、と思ったのだ。意味は「色白の美男子」のことで、現代語に置き換えると何が面白いのかよくわからなくなる。因みに皙という文字の意味もやはり白いという意味であり、重ねてあるわけですね。森鴎外がドイツに留学してた頃の日記を読んだ時にも今はもう全然使わなくなった言葉がたくさん出てきて素敵だと思ったし、個人的にも例えば怜悧とか豪奢とか柔弱とか、最後のなどもういい意味があるのかどうかも怪しいが、自分は好きである。

古くなったばかりではないとは思うがこれらの言葉にはそれこそ言葉にできない暗示的な広がりがある感じがする。今現在我々が使っている言葉で後世になってこの言葉は素敵だったと感じられるようなものはどれくらいあるか。それは今現在を生きている自分たちにはわからないことかもしれないが。

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