キタナくっても、大丈夫

日本人は、何でもものをきれいにしたがる、汚い(と自分が感じる)ものをすごく恐れる。

色々な例はあるが、例えば先の新型インフルエンザが流行り始めの頃、日本人のマスク着用率が諸外国に比べ非常に高いためWHOがその効果について大変興味を持っていたという話がある。おしぼりや割り箸、などもその類かもしれない。特に女性には潔癖症が多くて、人が座った座布団は必ず天日干しするとか(うちの母・・)、バスタオルは一度使っただけでも洗うとか、そこまでせずともよいのでないか、と私などは思う。

日本は湿気があって、何でもすぐカビたり腐ったりするからその反動かしらん。

時折、自分は常にキレイで、ケガレは外から入ってくるもんだという風に思ってる節もほの見える。キレイかキタナイかは、自分の都合にすぎず、絶対的なものがある訳ではない。ケガレというのは単に、「自分の目的に合わないこと」である。健康でいたいのにインフルエンザウィルスにやられる、とかね。

まあそれも自分の都合として、嫌なら適切に防御すればいいが、キレイとキタナイは実のところキレイだの、キタナイだのという以前に、「そういう状態」にしか過ぎないものだということを、考えるとなんだか妙に安心する。しかしそこで安心する自分もまた、キレイ至上信仰に、かなりやられているのである。

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