境界を見極める、と、魚なのに鳥

家庭料理という言葉があるが、独身料理というのもあるのであって、それはもう殆ど「料理」と単なる「素材」のきわを見極めるような・・・。ご飯に卵と醤油をかけたり、納豆に胡麻や葱を入れるのは料理なのか。瓶から出したオリーブを食べるとか鮭の缶詰の中身をそのまま味付けせずに食べるのはさすがに料理ではないと思うが、卵や納豆については料理のフレーバーが少し混ざってくるような気がする。あくまでフレーバーだけど。

そういえば先日、サラダにするのにシーチキンを買った。ツナなのにチキンというネーミングもいいが、ラインナップも油漬けだったり水煮だったりフレークになってたりと豊富。しかも昔からあるせいか私の好きな昭和な感じ。

今回買ったのは砕いていないいかにもオリジナルなたたずまいの「シーチキンファンシー」だった。しかしなんで「ファンシー」なのかと思ったら、fancyには「高級な, 極上の, 特選の」〈プログレッシブ英和中辞典〉という意味があることを知った。砕かれてる方が使いやすそうだし、他より若干高いので随分久しぶりに買ったのだが、シーチキンシリーズの中でも出色のおいしさ。

素材としてのキャラが立っているものが独身料理には向いているので、シーチキンを買うときは、シーチキンファンシーにすることを(特に独身者には)、強くお勧めする。

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