メモ魔という存在 

自分はメモ魔である。

これまでの人生(まあメモ魔度は特にここ10年位激しくなっているが・・記憶力の減退に対応すべくかしらん)、ほぼ「戦争と平和」の3倍位はメモをとってきたのではないかと思ふが、狙ったほどどころかそのはるか下程度にしか利口にはなっていない。

こんなことなら、メモなんてとらなきゃよかったよ、時間のムダ・・と今日考えかけて、いやでも、メモをとること自体ではなくメモの活用の仕方が誤っていたのではないかと思い、さることについて集中的にメモっている内容を改めて見てみたら、なかなかいいことを書いているのを発見する(今すぐに実行すれば、の話だが)。

ということで、メモをとるとらないによしあしがある訳でなく、ちゃんと活かすか否かが大切なのだ、というまた新たなメモのネタを発見したのであった。

ちなみに最近のプレジデント誌で秋元康氏が、自分はメモをとらない、と言っていた。感覚のフィルターを通し、自分にとってよいもの、必要なものは残る、ということかららしい。しかしその秋元氏にしたって、メモをとりまくり創作に活用するウッディ・アレンのことをたいへん尊敬すると書いてあったから、メモという世界は実に奥深いものだ。

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