好きなり

最近特に好きな人が誰かと言えば、森鴎外、ブッダ、伊勢谷友介だが、共通点は容貌が美しい(ブッダのように伝聞も含め)ということであろう(要はたんなる面食いなのかも・・)。森鴎外は文京区の記念館にもう何度も足を運んだし、ブッダはいまだかつて人生において「信仰」というものに半歩近づいたことすらないのに、「とてつもなく理性的でやさしくていらっしゃる(お顔立ちがすばらしい上に・・)」と思って尊敬している。伊勢谷氏に至っては、藝大現役合格なのもさっきWikiを見るまでは知らなかったけど、自分はああいうほっそりして、硬質な感じの容貌の人が好きなんである。好きという割には、名前の読み方が、「いせたに」なのか「いせや」なのか、知らないけどさ・・。

見かけというものは大変に重要だ。なぜなら見かけは人間がそれにかなりの処依拠して生きている感覚というものにダイレクトに訴える。美術にしてもつまりは見かけに血道をあげている世界なのだ。別の言い方をするならば、内実をともなわない見かけというものはないという風に、自分は確信している。

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