論理性の限界あるいは循環思考 

ものを創ってるときにある幅の半分の長さの所に線をひきたいので幅全体をメジャーで測ったのちそれを2で割って当該のところに印をつけたりしてたが、先日ふと、「メジャー、そのまま半分に折って印つければいいぢゃん」と思った。ていうか別に、その戦略でいくんならメジャーでなくても単なるヒモか糸でもかまわない。メジャーの目盛りを無視して、ヒモとして利用するということもアリである。ここまではごく論理的な思考。

で、早速既にそれを思いついたとき手にもってたメジャー折り作戦を開始するが、メジャーの端っこには変な金属の輪っか状のものがついてて目盛りを無視してヒモ的に扱うにも今一つ使いづらい。ということでわざわざとり急ぎ目盛り0のとこを指で折って固定して作戦を続行したが、普通に測って二分する方が速い、ということをほぼ即座に認識した。ヒモにしたって実際やってみたらヒモの太さやくたくたさ加減によってうまくいかなかったりするんだろうなあ・・・。

考えることとやってみることは違うので、何でも試してみる価値はある。一方、思いつく限りのことをやってると時間がなくなる。即ちやるべきこととやるべきでないことの判断力をどう磨けばいいのかということを真剣に考えるべきなのかもしれないが(そうなのかな・・)、いずれにしてもその方法が一番、わからないのである。

同じカテゴリーの記事

  1. お金も有限

  2. 消えていくものには価値がある

  3. テープのり、テープかのりか

  4. 資本主義 意外にも太っ腹だった件

  5. e.e.カミングスと自動翻訳

  6. 刑事コロンボによって大人になったことを実感する

Blog「原初のキス」