先日散歩の途中で寄ったカフェで知人と回文あそびをした。
考えはじめていきなり知人が、「ねこねここねこ」どう?というので一瞬お~っと思ったが、書いてみると回文でもなんでもなかった。知人は他にも、「さとうのとさ」と、土佐が砂糖の名産地かのような文も作ったが、これも下から読むと「う」と「の」を逆転せねばならず回文ではない。
速やかに行き詰まった我々は制作プロセスについて議論し、短い単語の組み合わせを中核としてそこから膨らませていくのではと想像して、私が「三鷹の馬鹿な河馬の形見」という正真正銘の回文をやっとひねり出した。
そのとき知人が、「こんなことやってるのは時間のムダのような気がする」と言うのでそこでやめた。回文から解放された知人はテーブルの上で両手で軽くリズムをとっている。それは時間のムダではないのか、と問うと、「これはクリエイティブ、回文はルール通りにしなくちゃならないからクリエイティブでない」と回文マニアが聞いたら怒りそうなことを言った。
時間のムダかどうかはともかく、回文は脳を使う。本気で研究する人がいたら、半年もあれば認知機能向上等に関する医学的エビデンスが(多分)得られるだろう。笑うのも脳にいいらしいし、うまくいってもいかなくても笑えるので、一石二鳥である。