人魚とランチ

知人と電話でランチの約束をした際、待ち合わせの場所を聞いた私が「髪の毛切りに行くんだ・・」と言ったらお見通しだったので相手がびっくりした。なぜわかったかと言えば、前回会った時に髪が若干伸びていたのを見たことと、行きつけの美容室の最寄り駅が待ち合わせの場所に近いことを覚えていたから、というたわいもないからくりである。

当り前だがこうした思考方式そのものが全然アートと関係ない。髪が伸びていたのはこれから人魚みたいに地面をひきずるほど長くしてみようかと目論んでたせいかもしれないし、行きつけの美容室は前回髪を切りに行った時に美容師がぼーっとしていて知人の耳に切れ目を入れ、既に行きつけではなくなっていたかもしれない。ありそうなことよりなさそうなこと、推測より想像、そちらの方がいわゆるところのアートっぽいに違いなく、だからこそアートを心っからきらい、と言う人は少ないのではないかと自分は睨んでいる。世界におけるバランスの、大きな一翼を担っているのだから。

同じカテゴリーの記事

  1. Foundationは生き残る

  2. 図形の流動性

  3. 水を味わうということ

  4. 外部

  5. NFTアート

  6. 信じない

Blog「原初のキス」