傘と自転車の現代美術的様相

台風の翌朝、道に転がっている骨の折れた傘、下町の廃屋脇に置き去られて数年が経過し、つる草なんかも全身にからまっちゃってる放置自転車などが非常に現代彫刻的相貌を帯びていることを、知っている人は知ってるだろう。なんでこれがゲージュツぽいかというと、あるべき場所、所有されるべき人から完全に離脱し、元の外形的有様からもえらく逸れてしまっており、後者においては特に自然の采配によって人為を離れたパワーがそれを実現せしめているからである。

翻って本物の芸術の方も、ことに非常に優れた作品というのは人が創ったり、創りうるようには見えないような情緒をどこかに持っている。人が創るのに人が創ったように見えないこと。これがごく単純に言えば、芸術の条件かつ課題になる。

同じカテゴリーの記事

  1. NFTアート

  2. 創ろうとしない

  3. アート作品におけるスケール(大きさ)問題に関するジェフ・クー…

  4. 外部

  5. 絵画と版画

  6. 否定

Blog「原初のキス」