個人的なことだが、自分の父親が花が好きだったということを、今晩ふと思い出した。なぜ、どういう理由で彼がそうなったのかはわからないけれど。家族は少々迷惑がりながらも、ときにどこそこの花の博覧会というようなものに、遠くまで連れていかれたりしたっけ。
私は父について、一体どれ程のことを知っていたのだろう。しかし彼の私に対する愛はほんとうの本物だったので、まるで空を切り裂く稲妻のようにあまりにはっきりとしていて、「知る」とか「理解する」というステップはまったくいらなかった。そういう親を持ったおかげで、人間に対するごく基本的な信頼感というものを、自分は持つことができたのだ。
永遠にわからないこともあれば、刹那でも完璧に理解できることもある。父親が自分を見るまなざしには、いつも一瞬でまぎれもなく理解できる愛があった。